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午前2時 踏切に

望遠鏡なんか持ってねーよ常考

ここ数日、夜は雲も無くて星が綺麗に見える。月も明るくてクッキリ。
じっくり見たいけど、夜中に道端で上向いて止まってたら変な人過ぎるので自重する。

今まで生きてきて、あんまり星が綺麗だなーとか考えた事無かったな。
空を見上げる事に何の意味があるのかも分からなかったし。

星空を見るためだけに出かけたい気分。
大昔、20年ぐらい前だと思うが、親に連れられてキャンプに行った事が有った様な気がするが
その時に、何でこんなファミコンも何もねー所でぼけーっとしてなきゃいけないのかと思ってた気がするが
(実際には多分具体的に何か考えていたわけでは無かろうが)歳とると親と同じ様な事しようとしてるな。

しかし月も星も何万年(億年単位か?)でぷかぷか浮いてたのに
急に綺麗だの何だの言う様になったのは、こちら側の変化か。

星矢の最初の方に、人は数年で身体の中身を全部新陳代謝してしまうし散々血流してるから
もう親父の血なんて残ってないぜなんだってーみたいな事言ってたけど
心も数年で入れ替わるのかも知れん。
数年を隔てたアイマイミーマーイは最早同一人物とは言えないのかも。

後ろにも前にも自分は居なくて、ならば自分って何なのって思ったり。

某ハゲも夢から覚めなかったとしたら現実と夢を区別出来るか?とか言ってたけど
夢見てる時って、全然違う人物になっていたり、知らない場所に居たり、知らない人と一緒に居たりするけど
何の疑問も浮かばずにそのままで居る事が出来るよね。
催眠術や薬物で同じ様な事も再現出来るかも知れん。

果たして自我とは何ぞや。犀川先生に言わせれば、何だ?と思った時にだけ生ずる妄想だと言う所なのだろうが。

何一つ確かな物などなくて、記憶に基づいた環境に対する反射だけで生きている癖に
精神などと高尚な物が宿っていると考える事自体がおこがましいのかも知れん。

星の話だっけ。この星の無数のチリの一つだと 今の僕には理解出来ない。

何故年を取ると急に綺麗な物に気づくようになるのだろう。
自分自身が醜い存在である事に気づいて、外に美しさを求めるのだろうか。
あるいは、挫折や失望を知り、決して手の届かない存在に憧れを見出すのだろうか。

手の届かないと言えば、この地球はどうだろう。地球もまた星。それも青く輝く実に美しい星だ。
しかしながら、地面を見れば温かみの欠片も無いコンクリートが見出されるばかり。
あるいは土、あるいは緑、夜空の星の様な神秘性は感じられない。
夜空に浮かぶ星ですら、降り立ってみればガスや石の塊に過ぎず、この星以上に寂しい物だろう。

見ている物はあくまで光。その実態は土くれ。しかし想う。星は美しい。
古から伝わるまやかしは、未だ人の心を離さず、その偉大さに畏敬の念を禁じえない。

愛、哀、美、醜、善、悪、生、死。全ては幻、夢、夢幻。それが人。素晴らしい。

夜空の星を見上げる度に、この感動が蘇るのだろう。何と言う美しい世界。

生まれてきて良かった。知る事が出来て良かった。もう永久に恐れる物など無い。

父と母とこの大地に感謝を。だが断る。まそっぷ

いつまでも脳味噌お花畑にしているわけにもいくまい。こう言った事を同時に考えられる頭脳の不思議。
まさに天使と悪魔と言う奴だ。ままならん。
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